熟すまでの見守りと支え

                   

先日、バスの中でこのような光景を見ました。

お父さんとお母さん、そして二歳くらいの男の子がバスに乗っていました。

男の子はバスが大好きなようで、窓から見える風景を楽しみながら、車内放送もよく聴いていて、バス停を案内する放送や、運転手さんの言葉をまねて楽しそうにお話をしていました。

 

「次、止まります」と放送が流れました。

男の子は待ってました!とばかりに、背筋をぴんと伸ばして「ちゅぎ、とんります!」と運転士さんのまねっこ。エッヘンと胸を張っています。

 

それを聴いてお父さんが言いました。ちゅぎ、じゃないぞ。つぎ、だぞ。きちんと言わないとわからないぞ。」

 

お父さんは決してがみがみといった口調ではありませんでしたが、言い直しを求められたことでバスの運転手さん気分の男の子はちょっぴりしょんぼり顔。

 

「それに、とんります、じゃないぞ。とまります、だぞ。正しく言わないとわからないぞ。」と続くお父さんの言葉に、ますますしょんぼり・・・気持ちよく乗っていた男の子としては、運転手さん気分がしぼんでしまったのでしょう。

「ぼくのお話ってわかってもらえないのかな・・・」なんて自信をなくしかけたかもしれません。

 

すると、お母さんがやさしい声で言いました。

「つぎ、とまりますって言ったのよね。ママはよーくわかったよ。パパもね、わかるよね。もう一回ママと一緒に運転手さんに変身だー。せーの。つぎ、とまりまーす。ね、わかったでしょ、パパ。」

 

お母さんの助け舟に男の子は気分を取り直し、お母さんと一緒に「つぎ、とまりまーす」を明るい声で言うことができました。

ママと一緒だから、安心、安心。それに、ママはわかってくれたんだという安心感は頑張る気持ちにつながったようでした。

「うん、もう一回言ってみる!」と男の子はしょんぼり顔からキラキラと輝く表情に変わりました。

 

お母さんから届いた「パパもわかるよね。」の言葉からすぐにピンときたお父さんは、男の子の言い直しを聴いて、「オッケー、オッケー。よくわかったぞ。上手だな。運転士さんみたいだったぞ!」と男の子の言葉と気持ちをしっかり受け止めました。

それに、さっきは小さい声だったからよく聞こえなかったのかな~。ごめんよ。」さらにさり気なくさっきのやりとりを謝る素敵なおまけつきでした。

このあとも「つぎ、とまりまーす。」と男の子のかわいい車内放送は続きました。

 

この男の子のお母さんは大切なことをさり気なくしています。

 

★しょんぼりしたわが子に「大丈夫。ママはわかったよ。お話ししたことはちゃんとわかるよ。パパは怒っているのではないよ。」とさり気なく、でもしっかりと安心させる。

 

★リラックスして言い直しができるように一緒にお話をする場面を設定する。決して発音だけに注目したり、単語のいい直しを求めたりするのではなく、運転士さんのセリフ全体をいい直すきっかけを作る。

 

★熱心なあまりにわが子への訂正を求めたお父さんにさり気なく受け止めてほしいとメッセージを送る。

そしてお父さんもわが子に沿った対応をしています。

 

★お母さんからのメッセージを正しく受け取り、わが子の段階や気持ちに沿った言葉を伝え、きちんとほめている。

 

★必要に応じて、その時のやりとりをおだやかに振り返り、素直に謝る。

 

 

言葉は使いながら上手になるものです。使わなければ上達しないのです。

私たち大人は、子どもたちが安心して言葉を使い、それぞれのペースで上達していける正しい環境を作ることが大切な役目なのです。

覚えたて、使い始めの頃は発音もはっきりしないでしょうし、言い間違いもあるでしょう。

使い始めたばかりの言葉は未完成なのです。

それでも好きな言葉だから、興味のある言葉だから使うのです。自分の周りにいる大人のように上手に言えるようになりたくて、言葉を使うのです。

そして、その未完成な言葉も温かく受け止め、受け入れ、わかってくれる大人がいるからこそ何回も何回も使い、それがいつの間にか繰り返しの言葉の練習となり、自分の言葉として身についていくのです。

 

小さい子どもは、口も舌も呼吸をする器官も聴きとる耳の機能も話す言葉も未熟で、未完成です。

思うように口が動かなかったり、舌が回らなかったり、話しながらの呼吸がスムーズにいかなかったり、聴き逃したりすることがあっても当然なのです。

でも、気持ちがこもっています。伝えたい思いが詰まっています。伝わったときの喜びをしっかりと覚えています。だからこそ、数えきれないほどの言葉を覚えていけるのであり、伝えていく気持ちを育てていけるのです。

 

それぞれの子どもの言葉と気持ちが熟し、完成していく長い道のりを大人は支え続けていく必要があるのだとあらためて感じられたバスの中のひとときでした。